ようこそ、私たちの世界へ

「先生の紹介」
新潟大学教育人間科学部助教授として講演会・研修会など、大変お忙しい毎日を過ごして障害を持つ子供の保護者・教師にスーパーバイザとしてご指導をしておられます。 専門は「自閉症」で、おもに「言語獲得に関する指導法」「IEP(個別教育プログラム)」など、きめ細かく分かりやすい指導で、みなさんの中にも指導を受けられ方もいらっしゃるのではないかと思います。 先生は月1回大学で新潟行動研究会という障害をもつ子供に関わる方達を中心とした勉強会も開いておいでです。

「ようこそ、私たちの世界へ」
スライド1 今日は、自閉症の子供(人)の理解というテーマで、保護者の方を対象に話をします。 私は大学で仕事をする以前に出身地の岩手県で養護学校の教員をしていまして、寝たきりの最重度の障害のある子供の教育を担当しました。その後知的障害の養護学校で、小学部の学級経営に携わった訳です。そこで初めて自閉症の子供と接した訳なんです。 学生時代にも教育実習で自閉症のお子さんに接した事はあったのですが、なんとなく理解ができなくて、とっつきにくいようなタイプの子供という印象が強かったと思います。実際に養護学校の自分のクラスには自閉症の子供が何人か居て、つきあってみると私の性格に非常に合った子供達だったなと感じました。気を使わなくていいとか、本当の自分をさらけ出しても別になんの抵抗感もなく、しかも非常に行動が分かりやすいという事に気が付いたんです。大人になると人間関係に悩んだりしますけれども、おそらく自閉症の方とであれば、私はどろどろとした人間関係に悩まずに済むんじゃないかなと考えております。 それでも自閉症の子供は理解されなくて、逆に自閉症でない子供と同じような扱いをされて大変な苦労をして、場合によっては学校に馴染めずに、あるいは不適応を起こし、「この子は問題だ」とラベルを貼られている子供達もかなり居るんじゃないかと思います。お母さん方はかなり勉強をされているかと思いますので、分かっている事もたくさん出てくるかと思いますが、一応自閉症に対する理解の復習の意味も込めて話をしていきたいと思います。

「広汎性発達障害とは」
スライド2 今自閉症と言われていますが、正しくは「広汎性発達障害]というくくりの方が適切のようです。広汎性発達障害というのはアメリカ精神医学会という大きな学会で認められた障害名ですが、おおむね発達時期に見られて、ひろく障害をうけるという事です。何処に障害が見られるかというと、社会関係能力、人との付き合いとか、そういったところに障害がある、あるいはコミュニケーションですね。言葉を話す、理解するというあたりに困難が見られるグループだと言われています。広汎性発達障害にはいくつかのグループが知られていまして、1つ目は「自閉症」、2つ目は「アスペルガー障害」というグループです。よく高機能自閉症とも言っていますが、表現が失礼ではないかという方がいまして、つまり「高機能」自閉症というのに対して「自閉症」は「低機能」自閉症というのかと反対する方もいます。精神医学会では「アスペルガー障害」という名称を使っています。高機能自閉症というのは使っていないですね。文部科学省は高機能自閉症を使っていますから間違いではないですが、私自身は「アスペルガー障害」と使っています。あとは「レット障害」という、自閉プラス脳性マヒのようなグループがあります。女の子にしか見られないというものです。私も文献でしか見た事がなくて実際には会った事はありません。もうひとつは「小児期破壊性障害」と言われるもので、ある時期言葉があったんだけれどもある一定の時期になると言葉が消失していって自閉症の症状を示すというグループです。最後に「特定不能の広汎性発達障害」というものでこれはどういった障害かと言いますと「自閉症」のようなんだけれども「自閉症」ともちょっと違う、「アスペルガー障害」とも違う、「レット障害」とも違う、「小児期破壊性障害」とも違う、従って残り全てをひとくくりにしたようなものです。広汎性発達障害というとこれらのどれかに入るグループという事です。ですから自閉症と言われた場合、広汎性発達障害と言っても間違いじゃないという事です。 この人達の大きな特徴の1つに能力の偏りという事が知られています。 得意な面もあれば不得意な面もある、平均的な面もあれば平均よりも著しく劣っている面もあるという事です。例えば私達が中学校くらいの時に定期テストをやって、国語や社会、英語といった文科系の教科は得意なんだけれども、理科数学は全く苦手というのもこれも能力の偏りですね。 「能力の偏り」というと教科による得意・不得意をイメージされるんですが、知能で見ると知能の中でいろんな能力があります。言語をつかさどる知能があります。言語以外のものをつかさどる知能があります。

「言語性知能・動作性知能」
スライド3 大抵自閉症のお子さんというのは前者が弱くて後者が強かったりします。言語性の知能が低くて、動作性の知能が高いというような言い方をします。さらに細かい能力が知られています。「言語理解」という能力・「注意記憶」という能力・「知覚統合」という能力・「処理速度」という能力も知られています。中央児童相談所とかはまぐみに行って知能検査をした時にIQいくらというのが出ます。さらに「言語性知能」がいくら、「動作性」がいくら、さらにWISC-IIIという新しい検査の場合には「言語理解」がいくら、「注意記憶」・「知覚統合」・「処理速度」、それぞれに出ます。非常に優れた検査です。例えばこれらの能力が劣っている場合というのはどういう状態なのかといいますと、「注意記憶」が弱い場合、人の話を聞かない・何かしようとするとすぐに行動に移ってしまう、ADHDのお子さんの検査をすると大抵この部分が弱く出ます。先生が何か話し始めると「うん、分かった。分かった」と言って自分から何かをやって失敗して叱られるという感じですね。「知覚統合」という能力があって、それが弱いという事は状況の理解が難しい。じゃあこれが著しく優れている人というのは、負けちゃいましたけど日本代表の中田選手です。実際に知能検査みたいなものをやってその能力が抜群に優れているという事が分かったそうです。 次に「言語理解」が弱い。当然そうですね。自閉症のお子さんで言葉の無いお子さんの場合にはここが非常に弱く出ますし、LDのお子さんでもここが弱く出たりもします。間違いなく言えるのは自閉症のお子さんの場合には「処理速度」が弱いですね。「処理速度」が非常に困難である、複数の仕事が出来ない、従って「注意記憶」が抜群に良かったり、「知覚統合」とかも良かったりすると、こういう言い方は面白くないかもしれないですが、自閉症の方っていうのは記憶容量のでかいハードディスクを備えた、CPUが非常に旧式のパソコンといえるのではないか。つまり、どんどん物事は入っていって貯蔵する事は出来るんだけれども、それを状況に合わせてパパパっとうまく引っ込めたり出したりするのが苦手だと、だから分かっているのに出来なかったりということが言えます。だから先生の方は、なんで分かっているのに出来ないんだろうという事で、ちょっと首をかしげる訳なんですね。そういう能力のアンバランスがあるから出来ないんです。知的障害のお子さんの場合には、すべてそれぞれが平均よりもぐっと下がっています。得意・不得意があまりない。だいたい平均をまっすぐの線で引くとすれば、それが全部ぐっと下がっています。自閉症の場合はそれがギザギザの線になるという、得意・不得意は著しいという事になります。

「知能指数と認知の偏り」
スライド4 「知能指数」と「認知の偏り」(アンバランス、得意・不得意の幅の大きさ)という尺度でいくつかのグループを表わしてみます。知能指数IQ70がひとつのめやすです。あくまでもひとつのめやすですので、数字にこだわらないでください。上に行く程、高いです。我々平均人はだいたいIQ100くらいの所に位置します。得意・不得意もそんなにない。知能指数も100前後というふうに言われています。知的障害の方々というのはだいたいIQ70より低いと言われています。あくまでもめやすです。能力のアンバランスもそんなに大きくない。左にいく程能力のばらつきが小さいですね。自閉症と言われているお子さんの場合には、「認知の偏り」がすごく大きい。そしてだいたいIQ70よりも低いと定義されています。アスペルガーの場合には「認知の偏り」が非常に大きくて、だいたいIQ70前後から高い人でいうと130から140という方もいます。中にはIQ150・160という、もうこうなるとアスペルガーと言わないですね。サヴァン症候群と言われています。知られているのはカレンダー才能・音楽才能・絵画才能といったものです。「西暦2035年6月21日は何曜日ですか」と聞くと「月曜日」とぱっと答えます。本当に月曜日かどうか分かりませんけど、そんなふうにすぐに出て来ます。けっこう居ます。カレンダー才能を持っている方。あと絵画才能、数が数えられないのに新潟の町を書かせるとビルの窓、線がいくつあるのか正確に書く。だけれども数は数えられない。どうやって記憶しているのかというと、おそらく写真を撮るような感じで、パシャッとシャッターをきって、その中にそのまま記録している。なんとかビルの窓は20×20個なんていうふうには記憶していない。見たまま記憶しているという事ですね。裸の大将で有名な山下清さんもサヴァンと言われています。絵画才能ですね。大江健三郎さんの息子さんの大江光さんもたぶんそうだと思われます。新潟でいうと新井の岡田さん、あの方も話をするのは困難ですけれども、目で見て記憶して再現するという能力が我々に比べてものすごく優れています。だけれども、話すとか、生活するという能力が弱いという事が言えると思います。LDと言われているお子さんの場合には70くらいからで高いんだけれども、「認知の偏り」がまぁまぁある、アスペルガー程ではない。じゃあいったいこの辺どういったふうに線が引かれるかというと、よく分かっていません。重なり合っているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。あるいは別のグルーピングが出来るのかも知れない。今はこういうふうな名前で言っているけれども、ひょっとしたら違う、この辺(学習障害の下部とアスペルガーの下部)で1つのグループなのかもしれないし、この辺(学習障害の上部とアスペルガーの上部)で1つのグループなのかもしれない。だけどよく分かっていない。という事なんですね。従ってよく私は学校の先生に言うんですけれども、この子が学習障害なのかアスペルガーなのか知的障害なのか、そういった診断にこだわる必要はないんだと。そうじゃなくて、この子にいったい何をしてあげる事が一番必要なのかという事を優先的に考えて下さいと言ってます。医者みたいにいろんな検査をやってこの子は学習障害で何の学習障害なんだろう、なんていうふうに一生懸命時間を費やしても、仮にこの子の障害名がはっきり分かったとしても、指導になかなかつながりません。むしろこの子にとって今必要なのはこれだ、でやってみた、ぴったり合った、じゃあその指導を続けよう。この子にとってこの指導がいいんじゃないかと思ってやってみた、ちょっと合わなかった、じゃあ修正してもう一回やってみる。というような姿勢が必要だという事を学校の先生には言っています。

「自閉症の定義」
スライド5 自閉症の定義というのはアメリカ精神医学会の基準で3つ言われています。社会性の障害・コミュニケーションの障害・行動の障害です。

「社会性の障害とは」
スライド6 社会性の障害というのはいったいどういう事なのか、体験されている方がほとんどじゃないかと思います。1つ目は「視線が合わない」、2つ目は「呼んでも振り向かない」、子供の頃を振り返ってみればそういえばそんなことがありました、という親の方がいらっしゃいます。3つ目は「友達が作れない」、というよりも「必要としない」、友達と遊ぶという事に意味を見いだせない。4つ目は喜びを分かち合えない、5つ目は「ノンバーバルコミュニケーションがとれない」。もっと分かりやすく言えば、場の雰囲気が分からない。今なんであなたこういう事を言うの?という事を平気で言う、で叱られてもその意味が分からない、場の空気が読めない。分かりやすい例で言うと、レストランに4人で座ってみんなで注文し自分の頼んだものの味がちょっと薄かったので自閉症の人に「塩ある?」と聞くと「あります」と言うんですが、それで終わり。でもそういう意味で言っているんじゃないですよね。言葉の奥に潜んだ意味を読み取る事が苦手であるという事です。「いやぁ、今日暑いね」と言うと「はい、今日の最高気温は32℃」で終わり、そういう事を聞いているんじゃないですよね。でも彼らにしてみると言われた事をそのまま受け止めているという事ですから、逆に言えば裏表がないという事ですよね。人を欺こうという事はないですし、下手なお世辞を言ったりする事もしません。そういう意味で言うと非常に付き合いやすいというふうに私は感じています。「ノンバーバルコミュニケーションがとれない」、表情が読み取る事が苦手である、微妙な変化を読み取れない、「あ、お母さん怒ってるな」とかいう事を理解するのが苦手であるという事です。自閉症の診断というのは3歳にならないと難しいと言われていますが、それはどうしてかと言うと社会性が出てくるのがだいたい2・3歳なんですね。1歳から社会性のある子っていうのはありえないわけなんです。最近は1歳前後に自閉症かどうかを診断するチェックリストが出来てまして、そのポイントとなっているのは「視線が合わない」「呼んでも振り向かない」「模倣が困難である」という事です。どうしてこういったものが自閉症の診断の1つのめやすとなったかというと、ホームビデオの普及なんです。3歳以降になって自閉症と診断された場合なんですけども、今はみんなビデオに撮ってますよね、誕生からずっと。で、ある研究者がホームビデオに目を付けて1歳以前後の様子を分析してみたら、やはりこういった傾向が1歳前に見られたという事なんです。 また、初めて海に連れていった時にたいがいの子供は波を怖がったりするんですが、自閉症のお子さんの場合にはキラキラした水面を見て、怖がるどころかまっしぐらに海に入っていったという事もあります。早めに自閉症かどうかが分かるという事は、その後の訓練につながっていきますから良い事だとは思います。

「行動の障害とは」
スライド7 儀式的な行動。学校へ行く前に必ず何かを並べていかないと気がすまないとか、部屋の本がきちんと揃っていないとダメとかいう事です。どう見ても意味のないような事を毎日毎日繰り返しやっている、「やらなくてもいいんだよ」と言ってもやる。本人も楽しそうでない時もある、苦しそうにやっている時もある、だけれども止めると怒ったりする、「いいよ、やらなくて」なんて言うと怒る。さらに止めるとパニックを起こす。つまり「活動レパートリーが狭い」、出来る活動、好きな活動が少ないという事です。決まった活動しかしない、水遊びだけとか、ミニカーを並べるだけとか、そういった事しかしない、別の事をやらせようとすると抵抗する。「常同的な反復行動」、儀式的行動というのはこの事ですが、こういったものが「こだわり」と言われるもので、こういった事を常にやろうという「こだわり」、それが強いと止めるとパニックを起こします。泣いたり、かみついたり、自分を叩いたりというのが知られています。

「心理学的特性」
スライド8 「自閉症」と「アスペルガー」との違いはいったい何かという事ですが、「自閉症」というグループがあって、その次に何かのグループがあって、その次に何かのグループがあって、その次に「アスペルガー」があるという、連続しているというふうに考える学者がいます。そうじゃなくて「自閉症」と「アスペルガー」は違うグループだと考えている学者もいます。じゃあ「自閉症」と「アスペルガー」の違いは何かというと、言語発達の遅れがあったか、ないか、だけです。つまり言葉をぺらぺらと普通に話す自閉症が「アスペルガー」だと、言葉をうまく話せないとか、あるいは知的な遅れがある子供は「自閉症」と考えられています。だからどこに区切りを付けるかっていうのはなかなか難しいです。指導的な立場の人達から見れば「自閉症」と「アスペルガー」を区別する必要はなくて、やはり心理学的な特性とか行動特性は非常に似ていますので、同じように扱っていいと思います。ただ「アスペルガー」の子供達の場合には普通に話すんですね。普通以上に話す子も居ます。で、その言葉に先生はだまされるんです。言葉でぺらぺら言っているから分かっていると思うんですね。ところが分かっていない事が多い。もう興奮して「僕、最後までがんばる」とか言いながら頑張らなかったり、「パニック起こさない」と言ってパニックを起こしている。言っている事とやっている事が一致しない場合が見られます。先生にすると「どうしてちゃんと分かっているのに出来ないんだろう」という謎を抱えてしまうんです。そこで自閉症の心理学的特性という事になるんですが、1つは「感覚入力・調整の特性」もっと分かりやすく言うと「感じ方・ものの見え方・聞こえ方」が自閉症ではない子供達と違っているという事です。非常に過敏であるという、触られる事を嫌がる、あれはもう、嫌な表現ですが大キライな人になでられる事を想像してください、そういう感じです。嫌ですよね、やっぱり。感覚が過敏である自閉症の子供は常にそういう事を体験しているというふうに考えた方がいいです。テンプル・グランディンさんは大学の先生でアスペルガーの方ですけれども、自伝に書いていますよね。「ギュっと抱き締めてもらいたいだけれども、抱き締められる感覚が嫌、人にされる感覚が嫌」だから自分を締めつける機械を作って、その締めつけられるという事で安心感を覚えたという、本当に矛盾していますよね。ギュっとして欲しいんだけども、その感覚が嫌という、その過敏性が1つ言えるんじゃないでしょうか。この過敏性は皮膚感覚だけじゃないですよね。味覚もそうです。あるいは目で見る刺激もそうです。いろんなものの感覚が過敏であったり、鈍感であったりします。運動会である「バーン」っていうのをすごく嫌う子供もいますけど、おそらく大砲の弾丸を飛ばす音くらいに聞こえるんじゃないかなと私は思うんです。それを「大丈夫だよ。我慢しなさい。」なんていう先生もいますが、我々に大砲のそばに立って我慢しろと言っているようなものなので、そういう特性を理解してあげなければいけないわけですね。だから結局嫌になったら耳塞ぎを始めるという事になります。それでも音というのは聞こえて来ます。じゃあどうするかというと、自分が気に入っているフレーズを何度も繰り返します。「いつも楽しく気ままな…」とかいうCMのフレーズを何度も何度も口ずさむ、嫌な音をマスキングして消してしまおうとしているんですね。だから不安定になると耳塞ぎをしてCMを何度も言うというのは彼らのささやかな抵抗なんですね。当然味覚にも過敏であったり鈍感だったりするので、偏食があります。例えば「とってもおいしいから食べなさい」と言ったものが砂を食べているかのような感覚であるかもしれない。ですから私が自閉症の子供の偏食の指導に関して質問を受ける事があるんですが、答えは「栄養のバランスが取れていれば偏食なんか改善する必要はない」という事を言っています。食べたくないものを食べさせなくても良い。ただ、あまりにも偏っている場合、私が知っている例で言えば、サーモンステーキとビーフステーキしか食べないという方がいらっしゃいましたが、そういう状態では困る訳ですね。だけれども、健康に影響がない程度であれば偏食があっても良いと思います。ちなみに先ほどの例に出した中田選手ですが、彼が野菜を食べないのは有名な話で、お母さんが「野菜食べないと中田選手みたいになれないわよ」と言うのは実は通らない話です。ですからそんなに神経質に考えなくても良いと思います。次が入力刺激の処理の特性(考え方、判断の仕方)が違っているという事です。耳から来る刺激を処理するのが苦手であるという、よく自閉症の子供にとうとうとさとす人がいますけれども、あれは全く効果がありません。ある一定の言葉以上になるとただの雑音でしか聞こえてきてないはずです。不快な刺激。だから先生がいっぱい説教し始めると態度が悪くなって「なんだ!その態度は!ちゃんと聞きなさい!」なんて言われるんですけれども、極端な事を言えば彼らに対して言葉で指示を出す必要はないという事です。「座りなさい」(ゼスチャー付き)こう、視覚的な手がかり、つまり目で分かるような教え方をする、絵カードを出す、写真カードを出す、文字カードを出す、それをくどくどと説明すると処理しきれません。全部嫌な刺激になってきます。耳元で大嫌いな人の生話を聞かされる状態、そういうのをイメージして頂けるとその不快さが分かって頂けると思います。複数の刺激処理が困難である、今ここで私自身は沢山の刺激に囲まれている訳ですね。沢山の女の人が居る、きちんとした自閉症の話をしなければならないとか、いろんな刺激があって、それを私は適性に処理していますのでここでまともな事をやっています。それがちょっとでも狂ってくると「あ〜、暑い、暑い」と言いながら服を脱ぎ出したりする訳ですね。だからその場で適性な態度をとるというのは状況判断、つまり複数の刺激を常識的な価値基準で処理しなければならない、そういう事が非常に苦手である。だから授業中に突然好きな歌を歌ってみたり、ふらふらとどこかへ行ってみたり、先生からすると「なんでそんな事をするんだろ?今そんな事やる時間じゃないでしょ?」と言われてみると「あ、そうだった。ごめんなさい。」とあやまったりするんだけれども、またやる。これは結局は複数の刺激処理が難しいからです。もっとこれが困難になると見通しが持てなくなります。この見通しの欠如というのが自閉症のつまづきの一番大きな要因だと思われます。つまり自分の1日がどういう流れで行くかが分からない。だから新しい場面に連れていった時に抵抗するというのは見通しが持てないからですね。未知の世界に無理やり入れられるような感覚を覚える。新しい所へ行こうとすると抵抗する。見慣れた所であれば安心して行くという訳ですね。あとは時間の感覚が自閉症ではない子供達とは違っています。過去・現在・未来という流れでは進んでいません。ぐるぐると混乱しています。10年前に起こった事が昨日の事のようによみがえってきて恐怖に襲われたりするという事も知られています。言語は思考の中心ではない、私は物事を判断したり話したりあるいは行動したりする時に言語・言葉で考えていますね。「今日は三越は休みではない」「三越はこういうバーゲンをやっている」というふうに頭の中で言語的な思考を行っているはずです。三越のイメージだけで動いている人いますか?それはちょっとすごいなと思いますけど。自閉症の人達というのは言語でものを考えていないという事です。イメージで考えているという事です。従って言葉をきっちりと獲得してからも、今私がここで「カレーライス」ということを言いました、「カレーライス」という音、文字で「カレーライス」と書きます、絵カードの「カレーライス」、実際に「カレーライス」が出てきます。それぞれが同じものだとは最初は判断できないんですね。レストランに行ってメニューで「カレーライス」という字を見た、「カレーライス」と自分が言った、あるいは隣の人が言ってくれた、ウエイトレスが「カレーライス」を持ってきた、それが同じものだとは思えないんだそうです。もうひとつは「昨日の教室」「今日の教室」「明日の教室」、「昨日の長澤先生」「今の長澤先生」「明日の長澤先生」が同じ人だとは結びつかないらしいですね。だからちょっと変化しているだけで教室に入ろうとしない。教室の中の配置がちょっと変わっているだけで、昨日来たのに今日は入ろうとしない。なぜかというと「1年1組」というとらえ方をしていない、シャッターでパシャっと撮って、今撮っているものが自分の教室というとらえ方をする、それがちょっとでも変わっていると「これは自分の教室ではない」というとらえ方をするんです。ちょっと難しいんですけれども、言語でものを考えていないという事なんですね。もうひとつは過剰な刺激から逃げようとします。嫌なものからも逃げようとします。これは当たり前ですね。これは異常な反応ではありません。こういう過敏性、不快なものから逃げようとする、逃げられないとなると自分で自分を刺激します。嫌なものを忘れようとします。何か叩いたり、人に向かったりします。見通しが持てないという事は、目の前にあるものにこだわってしまう。つまり、いつもいつも同じ事をしていると安心するんですね。彼らが好きなおもちゃでトミーのプラレールは同じようにぐるぐると回ってますね。この列車が同じようにここを通過して、ここを通過して、ここを通過する。それが繰り返し行われるので、それが非常に安らぐんですね。それがプラレールをどんどん延長していって、その列車が帰ってくるかどうか分からない状態にしちゃうと多分パニックを起こしてしまうと思います。だからくるくるくると回っているものはすごく好きなんですね。たいがい回るものは好きです。自転車のタイヤ、床屋さんのくるりん棒、あれはいつまでもじーっと見ている、すごくリラックスできると言われていますね。 自閉症の視線回避ですが、私がここ(壇上)に立ってみなさんを見た時には全部見えます。みなさんが座っているというのも分かります。ところが自閉症特性を考えた時にこういうふう(紙に抜かれた○の部分から覗いた視野のみ)に見えていると言われています。つまり自閉症の人にとってこの教室というのはここ(その限局された枠から覗いただけ)に映っている一人の人だけ。もし私がトイレに行ってまたここ(もとの位置)に立った時にその見方がずれている(まったく同じ場所、同じ地点に戻らない限り、少しでも角度・立ち位置がずれただけで前)と違って見えています。ホントは全然変わっていないんですね、ところが私(限局された視野しか持たない人)の世界では違う人が映っているんですね。「あ、これはここが違う」というふうに判断してしまう。だから教室がちょっとでも違っていると抵抗するというのはそういう意味です。あるいは教室に入った時に鍵がかかっていると、「あ、教室には鍵がかかっている」そうすると「教室というのは鍵がかかっている」となるんです。教室に入ってきた時に鍵がかかっていなければ、全てが変わっている訳です、自分が見えている全てが変わってしまう。だから「ここは違う」というふうに判断してしまう。こういう状態(白い紙の真ん中を丸く切り取った、その○の中から見た状態)が産まれてからずっと続いていると考えてもらうと、例えばたいがいの赤ちゃんというのはおなかが空けば泣きます、そういうときにこういう状態(仰向け)で寝てますよね。こういうふう(まるで、白い紙の真ん中に切り取られた丸から見るような)に見えています。お母さんが「どうしたの?」と見ます。赤ちゃんが見えたものは何か?、目玉です、お母さんというのは「こういう存在」で「なんか知らないけど気持ちが悪い」そうすれば泣くのをやめる。で、この子は非常に手がかからないと思われる。結局は自分から親を遠ざけている訳ですね。そうすると昔の自閉症の研究者は「お母さんがあまり関わらないからこうなったんです。」という失礼な言い方をした訳です。「お母さんの養育態度が悪かったから自閉症になったんです。」という言い方をしたんです。そうじゃない、関わり方がよく分からなかったから関わらなかっただけであって、その関わり方がよく分からなかった理由というのは、子供自身がお母さんをお母さんとして認知するのが困難だったから、いわゆるこういう状態ですね、こういう状態でなければまた違っていたかも知れないんだけれども、これが自閉症の認知特性の1つだと言われています。で、何でこだわるか? 1つの部分しか見えていないから、という言い方が一番分かりやすいかと思います。ホントにこうかどうかはわかんないんですけどね。こういうふうに考えると分かりやすいんではないかなと思います。

「ちょっとまとめ」
スライド9 じゃあここで1つにまとめたいんですけども、自閉症というのはよく情緒障害と言われていますが情緒障害ではありません。認知の障害です。認知の障害が結局は関わり方、対応の仕方が適切ではなくて情緒障害を引き起こす。つまりパニックを起こす状態ですね。だからもともと自閉症とパニックはセットではありません。自閉症だからパニックを起こすという事ではなくて、彼ら自身に対する関わり方が適切でなかったり、彼ら自身が訴え方が分からなくてパニックという形で訴えているというふうに捉えた方が適切であろうと思います。脳の器質障害と言われていますがよくわかっていません。最後に、親の養育態度は自閉症の原因とは全く関係ないという事です。完全にこれは否定されています。1970年代は親が原因だと言われていましたが、今は100%否定されています。

「自閉症の児童生徒への支援」
スライド10 じゃあ、自閉症やアスペルガーの子供たちにどういった支援が必要かという事ですが、獲得させたいスキルがあります。これは具体的に出来る事という事です。もっと具体的に言うと生きるために役立つスキル、10のスキルが知られています。コミュニケーション・身辺自立・家庭生活・社会性・地域資源の利用・就労・実用的な読み書き計算・余暇・自己決定・健康安全の10ですね。これらのスキルが身に付くという事が、生きる為に役立つ事になりますし、これらを重視した指導が将来を明るくします。つまり教科学習、国語・算数・理科・社会という勉強よりも、ここに書かれた10のスキルの力が身に付くという事が将来の予後が良い、というのは調査ではっきり知られています。特に社会性・コミュニケーションに関しては、言葉をぺらぺらと話せる必要はありません。何が出来ればいいかというと、挨拶ですね。「おはようございます」「さようなら」「ごめんなさい」「教えてください」「ありがとうございました」といった挨拶が出来る事、必要最小限の人付き合いが出来る事、これに尽きます。お世辞を言うとか、付き合いで酒を飲むとかいう事が出来る必要はありません。別にこういった事が出来なくても会社の経営者は良いと言います。必要なのはとにかく挨拶だと。最後まで仕事をするというのは自閉症の人は得意な事ですから。あとは身辺自立です、当たり前の事ですが、特に強調したいのは食べ方とトイレの使い方です。特にトイレはトラブルのもとになります。トイレをきちんと使えるか、使えないか。知らない所でも用を足せるか、足せないかですね。字を書けるとか計算出来るとかいうのは就職のバロメーターにはなりません。言葉を話せなくても仕事をしている自閉症の人達は沢山います。ですからそういった身辺自立・挨拶・最後まで仕事をするといった事が出来れば十分可能だという事です。もう1つは余暇、趣味がある、好きな事があるという事は非常に大事です。将来の充実した生活に余暇というのはもっとも重要なスキルだと言われています。どうやって余暇・レジャーといわれるスキルと身に付けるかというと一言でいうと小さい頃から親子で楽しめるものをもつという事ですね。小さい頃からあらかじめ慣れさせて電車やバスに乗って旅行をする、電車の時刻表を見る事を覚える、あるいは目的地の観光資源を知る、そういったものをどんどん発展させていく。私の知っている自閉症の方は今は一人で電車に乗って(鉄道同好会かなんかに入っている)ユースホステルかとかに泊まって一人で旅行していくらしいですね。その出発点となったのは親子で旅行した事なんですね。そういうことが有効だという事です。あとはIQ、知的障害の程度はその予後を予測しません。IQが高いからその予後が明るいとか、IQが低いから、あるいは予測不能だからといって予後が悪いとかいう事はありません。実際に横浜で調査をした方が重度でも就労しているという自閉症の人は沢山いるという結果が出ていると言っています。あとはスキルの獲得と問題行動の改善の2本柱だと思います。

「考える過程を分析する」
スライド11 子供に何かさせたい、「おはよう」を言わせるでもいいですし、お手伝いをするでもいいですし、あるいは「はい」と手をあげるでもいいです。何かをやらせたい、やって欲しい時、やるかやらないかだけ見るんじゃなくて、ある1つの行動を行う直前の様子を見て欲しいと思います。例えば「パニックを起こした」場合、パニックを起こしたというのをどうこう責める前に、パニックを起こす直前の様子を見て欲しいです。例えばどういう状況の時にパニックを起こしたのか、そばにどういう物があったのか、誰がどんな言葉を発したのか(「ダメだよ」と言ったのか、あるいは「やりなさい」と言ったのか)、周りにどんな子供が居て、どんな態度をとっていたのか、などいろいろあります。学校で言えば何の時間だったのか、どういう学習をしていたのか、などという事が考えられます。もうひとつは、何かの行動をおこした後にどういう対応をしたのか、パニックを起こしたという行動の後に褒めたのか、ご褒美を与えたのか、叱ったのか、罰を与えたのか、無視したのか、周りの態度はいろいろあります。ですから、「パニックを起こしました。どうやったらパニックは治りますか?」という事を考える場合、そのパニックを起こした状況をよく見るという事と、その後どんな対応をしたかという事を具体的に見るという事です。「やさしく接したのにパニックを起こした」という場合、やさしくというのはどういう事なのか、「やさしく撫でたのにパニックを起こした」というのは過敏だからパニックを起こしたという事になります。ですから「やさしく」というと非常に適切な事をやったように聞こえますが、具体的に見てみると適切でなかったという場合がけっこうあります。こんなふうに子供の行動を見る場合には、前の様子と後の様子を必ず見る事です。これが分からないと対応の仕方は見えてきません。ただ、前の様子と後の様子と、もうひとつ大事なのは援助ですね。子供が名前を呼ばれた時に「はい」と手をまっすぐあげられなかったとします。そうすると指導者は何をするか後ろから支えて「こうやってあげるんだよ」とやったりもしますし、前に立って「先生の真似をして手をあげてごらん」と言ったりもします。こういうのを英語でプロンプトと言います。つまり援助です。日本語で言うと促進するという事です。3つ知られています。1つは「こうこうこうしなさい」という言葉でのプロンプトですね「言葉掛け」と言います、2つ目は「モデリング」モデルの人がいて真似してもらう、「模倣」とも言います。「こうやるんだよ」と実際にやってみせる。ラジオ体操でモデルの人が前にいて、それを見ながらやるというのはモデリングが出来れば出来ます。3つ目は「身体的な介助」、さっきの手をあげるという話で出てきた、うしろから支えて「こうやるんだよ」というふうに手をあげさせる。あるいは「ちょうだいというのはこうやるんだよ」と手を押さえて形を作ってやる。席に座るのも「座りなさい」というのは「言葉掛け」で、身体を押さえて座らせるのは「身体的な介助」です。そういう援助というのは非常に大事な支援ですので、おおいにやって頂きたいですが、大事な事は出来るようになるに従って援助することを引いていく事です。いつまでも「こうやってあげるんだよ」と肘を押さえていると子供は自分でやろうとしなくなります。名前を呼んだ、「こうやるんだよ」と後ろの先生が介助した、これを続けていくと、名前を呼ばれた時に後ろを見るようになります。介助を要求するようになります。ですからそういう援助はどんどん減らしていく。出来るようになったら減らしていく。自転車を乗る為の練習をする時には出来るようになると援助を減らしていきますよね。あれと同じで、出来るようになったら引いていくやり方が適切であろうと思います。

「指導の基本1」
スライド12 教える時には環境の整備、設定、教えるにふさわしい環境を作る。例えば「掃除をしましょう」といった時には、その場が掃除をするというのが分かる環境であって欲しいです。なんにもない所で「さぁ、掃除をしましょう」では意味が分かりません。散らかっている、ゴミがいっぱい落ちている、そういう状態に置かれると「掃除をしましょう」という意味が分かりやすくなります。次は課題の始まりと終わりが分かるように、何かをさせたい時にはスタート・ゴールが分かるように。例えば「この1本の板を切って下さい」。スタートは切ります、真っ2つになります、終わったというのが目で確認できます。それが「できるだけ沢山シールを貼りましょう」という課題は分かりにくいです。この前教育実習の指導に行ったら自閉症の子供にやらせていました。なんかシール貼っているんですけど、飽きて他の人にちょっかい出してます。で、学生に「この子何個シール貼ればいいの?」と聞いたら「出来るだけ沢山です」と言うんです。最初に10個なら10個と決めて、終わったらさらに10個というのなら分かりますが、出来るだけ沢山というのは分かりにくいですね。あとは「丁寧にヤスリかけをしなさい」というのも分かりにくいですね。どこまでやれば丁寧なのか。よく行うのはチョークで板に色を塗って「この色がなくなったら終わりだよ」という言い方をします。「それまでサンドペーパかけなさい」という言い方をします。つまり仕事の始まりと終わり(結果)が分かるような指示を出せという事です。次にわかりやすい課題であるという事、これは当然ですね。子供が分かるような課題。結果に対しては素早く対応して欲しいという事。それが間違いであったら「間違いだよ」とすぐ教えて欲しいです、正しければ「正しい」とすぐ教えて欲しいです。で、成功した場合には賞賛して欲しい、ご褒美を与えて欲しい。このご褒美ですが、よく勘違いをされるんですね。食べ物をやるとか、そういった事も効果はありますが、まず褒めるという事。口で褒めるという事。と、子供の好きな物を与えるという事。好きなものというのは、おもちゃ、あるいはシール、食べ物、好きな活動、好きな場所、好きな人、いろいろあります。従ってこの子が好きな物は何かをリストアップする必要があります。学校の先生には1人1人の子供の好きなものの一覧表を作って記録してくれと言ってます。ケーキを与えて喜ぶ子供もいれば、ケーキを与える事が罰になる子もいるんですね。私の出会ったダウン症の子供がそうでした。甘い物は絶対食べない。誕生会でケーキを出すとすごく嫌な顔をされて、他の子は喜んでいるのにどうしてだろうと思ったら、小さい頃から甘い物は一切やっていないとお母さんがおっしゃっていて、結局ダウン症は肥満になりやすいから小さい頃から制限していたんですね。だから人によって喜ぶ物は違います。従ってその子が喜ぶ物を与えるという事です。で、褒める時には具体的に、何が良かったのかを具体的に言ってあげて下さい。「よくできたね」という褒め方はいまいちですね。「10個言われた物を作ったね。がんばったね」は○です。「ゴミを捨ててくる事が出来たね」も○です。「掃除を頑張ったね」これは×です。何がどうして良かったのかが分からないからです。褒める時は子供が頑張った事を具体的に言ってあげて、だからあなたは偉いんだという言い方をします。

「指導の基本2課題分析」
スライド13 何かをさせたいという場合には、目標を決めて目標に至るまでの道筋を細かく分析してください。例えば「買い物をする」コンビニに行って商品を買うという事をさせるとします。商品を買うという事は図のような流れになります。この子は「買い物ができません」といった場合に、どこが出来ないのか。例えば「商品を探す」という事だけが出来なければどうなりますか?これが出来ないと後が進みません。そうするとこの子は買い物ができないという言い方をされます。もし、「商品を探す」事だけがつまずいていた場合、それを先生がやってあげれば以降は出来る訳ですよね。もう買い物は80%出来てる訳です。従って「買い物」という1つの行為を考えた時にそのステップを細かく分けてみて下さい。案外難しいのは「財布からお金を出す」です。必ず最初はまき散らします。これはけっこう家で練習していないと難しいですね。で、指導の基本はこの順番に教えていけばいいわけですね。「はい、商品を探してごらん。どこにあるの?」例えば絵カードを使ったりして「これと同じ物はどれ?」とか言って選ばせます。「はい、レジは何処ですか?」と言ってレジに並びます。で、「財布からお金を出す」「お金を払う」…というふうに指導していきます。ところが「財布からお金を出す」だけが出来ない子供にはこの手順でもいいですが、言葉の理解もなく全く買い物はした事がないという子供の場合には「これから買い物をしましょうね」と言ってコンビニへ連れていく、「まず何をやるの?商品を探すんだよ」と言った途端にもう居なくなっていて店内を走り回っていて、何か商品を握りしめているので「ダメダメ」と言っているうちにそっちに行った、で鬼ごっこが始まって「あ〜、これで買い物学習打ち切り!」となってしまってそれ以降はやらなくなる。じゃあ、どうするかというと、先生と一緒に「商品を探す」「レジに並ぶ」「財布からお金を出す」「お金を払う」までやって、ここで学習が始まります。「お釣りとつつみを受け取る」です。つつみを「はい、受け取ってごらん」と言って受け取らせて「はい、帰りましょう」で、「買い物出来たね。偉いね。」と、そこで成功して終わります。次に今度は「財布からお金を出す」までを先生と一緒にやって、そこから子供にやらせます。つまり、ゴールからスタートに戻ってくる訳です。店に入ったら、手をつかんで商品の所まで行って商品を入れて、レジに並んで、お金を出してやって、その次は子供にやらせるというふうにします。そうすると「買い物学習終了」「成功しました」先生も褒める事が出来た。子供も商品を受け取って食べる事が出来た。ここまでが出来るようになったら、次に「お金を払う」所からやらせてみるというふうに、出来るようになるに従ってスタートに戻っていくという、スタートからゴールの順番でやるやり方もあれば、ゴールからスタートに戻るやり方もあるという事です。衣服の脱着の指導もこの逆にやります。ズボンを最初から自分でやるのは無理なので、ズボンをはかせてホックも止めて、最後に子供にファスナーを上げる事をやらせます。それで「ズボン一人で履けたね。良かったね。」で終わります。で、それが出来るようになったら今度はファスナーも下げた状態から「やってごらん」で、出来たら「出来たね」と、だんだんと難しくしていく訳です。ですから着がえの指導はスタートからやらせようとすると失敗します。従って最初は全部やってあげてから最後の所だけをやらせます。ボタンもそうですね。ほんのちょっとで出来るような状態にしておいて「やってごらん」と言って出来たら「出来た!」という所で終わりにします。勉強というのは始まってすぐ終わり、成功して終わりにします。それを最初からやって長々とかかってそのうちこっちもイライラしてくると悪循環になって子供も嫌な思いをするし、指導者も嫌な思いをします。基準を低めにとってだんだん基準を高くしていくのが指導の基本です。

「指導の基本3見通しを持たせる」
スライド14 自分がこれからやろうとする行動の流れが分かるという事です。自分がこれから過ごす1日が分かるという事です。従ってスケジュール表を活用します。スケジュール表というのは例えば1時間目は何、2時間目は何、というように1日の流れが分かるような表の事です。言葉が分からなければ絵でもいいですね。で、最初から沢山盛り込む必要はありません。分かるくらいのものを入れていく、だんだん分かるようになると1時間目国語は何をするという活動内容まで入れていきます。そして大事な事は出来た時には出来たというチェックをします。最初は先生(指導者)がやってあげてもいいですね。だんだん出来るようになったら自分でチェックをさせます。1時間目国語、漢字の書き取り10問出来た、シールを貼る、2時間目算数の問題出来た、シールを貼る、で最後にシールが5個たまったら何かご褒美をもらえるという事をやると一生懸命頑張ります。その都度、その都度ご褒美をやるというのはやる方も大変なんですね。だからご褒美は1日の最後に取っておいて、そのご褒美をもらえるんだよという合図としてシールをあげたりポイントをあげたりチェックしたり○をあげたり、「もうちょっとで5個になるよ、頑張ろうね」といって最後までひっぱっていきます。学校ではなかなかその子だけにご褒美をやるというのは難しいんですね。従って先生がポイントを与えて「これをお母さんに見せなさい」と言って、家に帰ってお母さんに見せて、お母さんが「1日頑張ったんだね」と言って「はい、おやつ」というようにご褒美をもらえれば、学校でのご褒美と家での大きなご褒美が結びつく訳ですね。家だったらどんなに特別なものをあげても「不公平だ」とは言われませんので、そういった部分は学校の先生と親とが連携してやるというのがいいと思います。あとは子供が出来るような見通しがもてるようなマニュアルを作成します。ちなみに日本マクドナルドは知的障害の人でも分かるようなマニュアルを作って教えているそうです。よく工程表なんて言うのを作ると見通しが持てます。もうひとつは作業の見通しがもてる環境設定をするということです。場所と活動を統一するという事です。

「資料・教室の構造化」
スライド15 これは教室の構造化で、TEACCHの考え方ですね。つまりその場所で何をするのかが分かるという事です。教室があります。制作活動のコーナーは、ものを作る活動だけに使います。そこにはクレヨン・はさみ・糊とかがありますので、そこの場所に連れていくと何をしなきゃいけないのかが分かる訳です。連れていくとすぐに作業に取りかかる事が出来ます。「これからなになにの勉強を始めます。礼。」なんて言わなくても授業がスタート出来るというわけです。他に「言語指導の個室」、言葉の1対1のトレーニングに使います、「着がえのスペース」「本を置くスペース」「遊具を置いて遊ぶスペース」「自分のものを置くスペース」場所と活動、場所と物が一致するように教室を構造化します。こうすると子供は何処で何をすればいいのかが分かります。先生が場所を指さした、これだけで自分が何をすべきがが、繰り返していくうちに分かるようになります。これが「構造化」という手続きです。それを机をいつも丸くして同じ場所で給食を食べたり、国語をやったり、算数をやったり、言葉の指導をやったり、着がえをやったりすると、机の場所へ連れていっても何をすべきかが分からないんですね。だから机の場所は「お勉強コーナー」というだけにしてしまって、他はすべて違う場所でやるというふうに構造化します。

「おいしいお昼を作ろう」
スライド16 これは工程表の例です。よく自閉症の人が(自閉症でなくても使いますが)使います、レシピと言われるものです。「材料を洗う」「材料を切る」「炒める」「調味料を入れる」「盛りつけ」「いただきます」と見通しが分かるんですね。パッと見ると自分が何をやればいいのかが分かるし、最後にどういう良い事が待っているかが分かります。ですから自閉症の人の場合には1つ1つページをめくるよりも、パーッとひと目で流れが分かるような設定の方がいいです。従って作業台も「材料を洗う場所」移動する、「材料を切る場所」移動する、「炒める場所」移動する、「調味料を入れる」移動する、「盛りつける場所」というラインを作って、その通りに動いていくと最終的に料理が出来上がりというものを作ってしまうと言葉が分からない自閉症の人でも料理が出来るようになります。

「指導の基本4」
スライド17 分かりやすい指示、分かりやすい表現、指示は1つです。「はい、授業が終わったので立って机の上を片付けてゴミはゴミ箱の中に。はい、○○ちゃんゴミは捨てに行って下さいね。」いくつ指示があったか? こうやっても混乱してしまいます。ですから「終わり」と一言言います。「はい、机の上を見ましょう。」と一言言います。子供は見ます。「えんぴつを片付けなさい」片付けて確認します。「ゴミはここ。」簡潔な指示を出します。「○○ちゃん、来なさい」目を見て「ゴミあるね。これはゴミ捨て場」と言います。ですから、指示は1語文・2語文で指示する。あと身振りを使う。あとはものによっては視覚的な刺激を使います。目で確認出来るようにする。目印を付ける、絵や写真を使う。良く使うのは1年生に入学した時に自分の靴箱の位置が分からない、従って先生が赤のマーカーで囲みます、「ここだよ」とすぐ分かるようにします。それをずーっと続けていると赤い所じゃないと入れなくなります。従ってこういう目印は分かるようになったら外していきます。「あなたの席はここだよ」とポケモンのシールを貼った、分かるようになった、ところがポケモンのシールがないと座らない、というふうにこだわる場合がありますので、だいたい80%くらい出来るようになったら指導者が少しルーズになって忘れた振りをして手がかりを置かないようにします。そうするとこだわる事が少なくなります。100%を求めないようにします。

「指導の基本5」
スライド18 代表的な指導の形態に、1対1の指導があります、ごっご遊びのようなシミュレーションの指導があります、日常生活場面での指導があります。これらのそれぞれが大事です。つまりマンツーマンでやるのも大事、ごっご遊びで繰り返して行うのも大事、実際の場面で指導するのも大事、買い物であればお金の出し方を1対1で練習する個別指導も大切、買い物ごっこという教室でごっこ遊びするのも大切、実際に行って勉強するのも大切、どれも大切です。

「問題行動」
スライド19 問題行動の基本は、問題行動は周囲が作っているというふうに理解して下さい。産まれた時から問題行動を示す自閉症のお子さんはいません。という事は周りが適切でない関わりをしていたという事になります。適切でないというのは彼等に対して適切でないという事です。考えられる要因は自閉症の感覚特性、さっき言ったように過敏であるとか鈍感であるとか感覚が違っているという事。次に見通しが持てない、コミュニケーション行動がまだ獲得していない、誤ったコミュニケーション行動を獲得してしまった。泣いて自分を訴えるとかですね。これに対して周囲の対応が不適切であったという事が考えられます。例えば泣くという事ですが、「この子は自動販売機の前に行くと泣くんですよね、困ったものなんですよね。」とお母さんが言います。その由来といいますか流れというと自動販売機がある、そもそもこれがいけないんですが、自動販売機を見た、その子は「んー!」とお母さんを引っ張った、お母さんは「ダメだよ」と言った、その繰り返しをやっているうちにとうとう泣いた、周囲が「何?なんだ、なんだ?」という変な目で見た。お母さんは「仕方がないね」と言ってジュースを買い与えた。これを繰り返していくとどうなるか?自動販売機を見ると泣くようになります。自動販売機を見た、泣くという連携が出来てきます。つまり問題行動、困った行動というのは先立つものが必ずあります。2つ目に適切でない対応が考えられます。従って適切でない働きかけによって問題行動が生じて、適切でない対応によって問題行動が長続きするという関係になります。先程も言いましたように、問題行動そのものだけを見るんじゃなくて適切でない働きかけと適切でない対応が大事だという事です。じゃあこういう事に対してどんな対応が必要かというと、1つは環境を整えるという事です。問題行動が起こりにくい状況にする、子供が混乱しないような状況を作るという事です。学習が分かりやすいような状況を作る、雑音がいっぱいあるのであれば雑音を取り除くとか、場所が混乱しているのであれば構造化を図るとか、そういう環境を整えるというのは非常に大事です。適切な刺激を出してやるという事、問題行動に対しては適切な対応をするという事。たいがいは消去、対応しない、問題行動に対しては答えない、もっと分かりやすく言えば無視するという事です。ただこれだけでは問題行動は改善しません。ではどうするか?問題行動を潰しにかかるのではなく、適切な行動を伸ばすようにします。問題行動を改善するという事は問題行動を無くす事よりも、正しい適切な行動を獲得させる事だと言われています。じゃあどうやって獲得するか?適切な行動に対しては適切に対応する、例えば「良く出来たね。こうやればいいんだよ。」というふうに褒めてあげる事をします。で、適切な行動がとれるように援助します。この2本立てでいきます。問題行動に対しては関わりを持たない。ただ良い行動に対しては最大限に褒めてやる。で、なかなか適切な行動をしない時にはプロンプト(援助)する。例えば「先生の注目を集めたくて服を脱いだ、それに対して周りが『わー!』と騒いだ。」そうするとその子はますますやるようになります。その時に服を脱ぐという問題行動を無視する、消去する。とどうなるか?ますます脱ぎ始めます。だから無視だけじゃダメなんですね。上着だけではなくてパンツまで脱いでしまいます、もう平気でやります。だからそういう事に対しては無視をする訳なんですが、その子が服を脱ごうとした時に、脇に付いている先生が「そうじゃないでしょ?『先生、僕を見て』って言ってごらん。」というプロンプトをします。で、その子が「先生、僕を見て」というような事を言ったら、その先生は「そうそう!そう言えばいいんだよ」と「先生はちゃんと見てるからね」と大げさにその子に注目してあげます。という事、この2本立てでいきます。「適切な対応。消去」だけでもダメ、「適切な対応。賞賛。ご褒美」だけでもダメ、両方やります。そして注目して欲しいという場合に問題行動を起こす場合には、もうひとつ適切な対応として時々注目してやるという、とにかく注目して欲しいわけですから、常に声を掛けてやればいいわけです。「がんばってるね」というごくごく平凡なやり方でいいわけです。「先生、ちゃんと見てるからね。」というふうに出来れば時計で計って、そろそろ5分たったなと思ったら「はい、がんばってね。」と声を掛けるというふうに、時間を決めて声を掛けると忘れなくて良いと思います。まぁそこまで几帳面にならなくてもいいですが。そして適切な行動に対しては大いに褒める、関わってあげると良いという事が大事だと言われています。この問題行動があまりにも激しい場合はどうするか?これには罰を与えます。罰を与えると言っても、殴ったりけったりするという事ではなくて、タイムアウトという方法をとります。つまりその子供が居たい場所から退場させるという事です。レッドカードのようなものです。そして子供の心が安定するような場所、しかも子供の楽しい物がない場所、何にもない場所にいれておくという事です。大切な事は必ず人が付くという事です。「お仕置きです。入っていなさい。ガチャ。」と鍵を閉めるのでは虐待になりますので、絶対にやらないで下さい。その場から退場させて、安全に留意して関わらないように無視しているという事です。で、子供が話が聞ける状態になったら「あーいうのは罰なんだよ。いい?」と言って出してあげます。その時間は短くして下さい。「1時間入っていろ」とかいうのは虐待になります。出来るのであれば子供と話し合って「こういう事をやると、5分ここに入っていなきゃならないんだよ。いいね?」と最初に言っておいて入れるようにします。

「問題行動の機能」
スライド20 スライド21 スライド22 スライド23 問題行動をなんでやるのか、いくつかの機能が知られています。つまり何かが欲しい、やりたいという事で誤った行動をしてしまう。その場から逃げたいという事で隣の人を引っ掻いたりしてしまう。注目して欲しい、これが一番多いですね。注意を得たいという事。あとはこれらが当てはまらない場合は自己刺激、つまりこうやって(何かを噛む)刺激してると心地よいという事なんですね。要求に関して、欲しくてかみついたとかいう場合には、正しい要求の仕方を教えます。「こうやるんだよ」と。正しく要求してきたら、すぐに応じてあげます。それを「おー、出来たじゃない。もう一回やってごらん。」なんていうふうにすぐに応じないと、やらなくなります。従ってちょっとでも良い行動が見られたら「よくできた!」とすぐ褒めてあげる。次に逃避。作業学習が嫌い・嫌だ・逃げたい・それで引っ掻いた、この場合には、我慢出来るだけの時間だけ作業させる。で、我慢できなくなった時には「先生、何処何処に行きたいんですけど。」というふうに言わせる。そしたら先生はすぐにその子を作業から解放させる。それを「みんなも頑張ってるでしょ。あなたも最後までやりなさい。」と言うのであれば、これはパニックを起こして全く良い事がありません。先生も迷惑を被るし、周りの子供も迷惑を被ります、本人自身も不快な思いをします。従って我慢できる限度までは我慢させるんだけれども、それ以上のものはさせない。別の活動をさせる、そのくらい柔軟に対応をした方が良いと思います。

「ふたたびまとめ」
スライド24 自閉症という、いろんな能力障害があります。対人関係を築く能力の障害が主ですけれども、そういう能力を改善するという事よりも、生きる為に必要なスキル、出来ることを増やすという事です。一人でバスに乗る、電話をかける、あるいは一人で料理をする、掃除をする、そういった生きていく為に必要なスキルを獲得するという事が大事です。次に自閉症の特性にあった支援・指導をするという事。特性を理解するという事ですね。自閉症の子供を「変える」という事だけではなくて、むしろ周りが変わるという事ですね。私が学生を実習に送りだすと、学生は自閉症の子供と必ず関わります。養護学校へ行くと自閉症の子供が沢山います。自閉症の特性をあれこれ復習させるよりも、一言「自閉症という子供は宇宙人だ。見知らぬ土地から来て、地球という非常に適応しにくい環境で苦労しているんだ」と「だから、我々の価値基準を押しつけるんではなくて、彼等の価値観を感じとって彼等に合わせて欲しい。」と言ってます。こんな言い方失礼かなと思ったら使っている人がいました。ご存じの方も多いと思いますけど翻訳家のニキ・リンコさんのホームページ(Webサイト)です。アスペルガーの女性で翻訳をやっている方です。この人のホームページ(Webサイト)は「自閉連邦在地球領事館付属図書館」というんですが、彼女自身が「私は宇宙人だ」と、宇宙から来て地球という慣れない環境に来て今はこういう仕事をやってます、地球の領事館だという捉え方をしているんですね。だから自閉症というのは「変わっている」と捉えるよりも、同じ宇宙人であって違う星から来ている人と捉える方が分かりやすいと思います。「変」なんじゃないんです、とにかく「おかしい」んじゃないんです、感覚が我々とは違うという事を理解してください。そんな意味で彼女はこういった啓発活動をしています。なかなかおもしろい方ですね。NHKの特集に出た事がありますが、話をする時にはパソコンでカシャカシャカシャと自分の言いたいことをディスプレイに表示して話をするというのも出ていましたし、時々ロッキングがあってバンバンと叩いていると考えがまとまると言っていました。まとめに戻りますが、指導というと今言った事がどの年齢でも言えるんですね。特に中学生・高校生あたりに関してはまさしく「スキルの修得」に尽きると思うんです。小学校に上がる前の自閉症の幼児に関してはどうかというと、特に言葉の出ていないお子さんの場合は「言葉を出す指導」よりも「言葉を理解する指導」の方を重点的にやってください。つまり言葉を理解出来るように指導して欲しいと言う事です。言葉が出なくても将来的に出る可能性もありますので、その違いは何かというと「言葉の理解能力」なんですね。仕事・作業・遊びなどの体験を通じてお母さんが言っている事と実際に自分がやっている活動とが一致すればいいわけです。理解出来るか。それが言えなくてもいいです。同じように繰り返される活動を通じて、言葉で言われると動けるという状態であれば、小学部・中学部になった時に話言葉を獲得する可能性が出てきます。従っていっぱい言わせるという事よりも理解させる事の方が大事だという事です。あとは「みんなと一緒に」というのを強要しないで下さい。みんなと一緒にしなくていいんです。保育園・幼稚園の先生に理解していただいて、築いて欲しいのは「特定の大人との1対1の信頼関係」です。最初は「困った時にはこの先生」「この先生は僕にとって役に立つ人」という事が分かってくれると保育園・幼稚園での適応がものすごく良くなります。困るとその先生の所に行く。将来的には友達、困ったらこの人、というふうに、1人だけでいいわけです。信用出来る人が居るというのが分かってもらえれば、その人を増やせばいいわけですから、まず信頼出来る大人、大人を1人作るというのが大事だという事です。あとはこういった子供達の指導というのは個別の指導計画というのを緻密な計画を作ってやるのが成功につながっていく事だと思います。

私自身、大学にいて理論的な研究がほとんどなんですけれども、その理論が実際に結びつかないとやっても仕方がないという考え方をもっていますので、今後もいろんな相談がありましたら出来る範囲内で私も協力していきたいと思っています。ホームページ等を覗いていただいて、昨年10月からメールマガジンも配信しておりますので興味がありましたら購読していただければなと思います。

以上。