【エッセイ第74回】

へろりんこさん

「今思うこと」

オーバーオールを着たプーさん(うちの子は小さい時プーさんにそっくりだった)は、私が何度呼んでも振り返らず、田舎道をひたすら歩き続けていた。当時の私には、その姿が親の言うことを聞かない悪っぽさをのぞかせているようにも見え、とても愛しく感じられた。

プーさんが5ヶ月の時、私たち家族は夫の仕事の都合で田舎に引っ越した。毎日やることといえば、散歩、昼寝、散歩…の繰り返し。今思えば、とても穏やかでゆっくり時を重ねられた幸せな日々だった。

1歳半健診で指さしをしないことを指摘され、2歳でも健診をした…「3歳まで様子を見ます。」保健師に精密検査を勧められたが、私はそう答えた。その後、2歳4ヶ月で言葉を話し始めた。3歳児健診でも保健師は検査を勧めたが、医師から「まあ、大丈夫でしょう。」と言われたのと、春に転勤が決まっていたため、それまで待つことにした。

春になり入園して、特に嫌がることもなく幼稚園へ通っていた。そんな中、自閉症の記事が目に入り、プーさんが当てはまることがいくつかあったので、はまぐみ小児療育センターに診察の予約をした。結果は、アスペルガーだった。

もっと早く、私が保健師の話をきいて専門機関にかかっていたら、プーさんのことをもっと早く理解できたのに…と思う。アスペルガーと診断されて、私は多少予想していたのと、これからのプーさんの人生を現実のものとしては想像できなかったせいか、あまりショックはなく、それでもプーさんはプーさんで、私の子には変わりないから“なんとかなるさぁ”と思った。夫はひどくショックを受けていた。

「できることなら、プーさんの世界に社会を変えたい。」と言っていたのを今でもよく覚えている。「急に社会を変えるなんて不可能だ。だから我が子を今の社会に適応できるように教育するしかない。」そんなことを夫に話した記憶がある。その時の受け止め方の違いが今を表しているのか、プーさんは私の言うことより夫の言うことをよく聞く。(この言い方はちょっと違うかな…)

母親の声より父親の声を受け入れることが多い。私の声が届かず、どうしたらいいものかと毎日考え、悩み、どんどん追い詰められて、答えも見つからず途方に暮れる。頭では分かっていても行動が伴わずイライラして、プーさんや妹弟に当たってしまう。大声を出したらますます私の声を聞こうとしなくなることが分かっていても、同じことを繰り返してしまう。

そんな時、ふと1歳半の次男と、かつてのプーさんの姿が重なり、その頃のことを思い出す。オーバーオールを着て田舎道を走っているプーさんの姿…笑顔がこぼれる。そして、こんな自分が母親であることを申し訳なく思う。プーさんのために何をしてあげたらいいのだろうと、悩んでばかりいても時間は待ってはくれない。プーさんの幸せとは何なのだろう。そして自分の幸せとは…。

毎日のように自分に問い、答えは見つからないまま時が過ぎていく。アスペルガーと分かった時に“なんとかなるさぁ”と思っていたのに、時が経ち“なんとかなるさぁ”では済まされなくなり、“なんとかしなければ”に変わった。“なんとなしなければ”いけないのに、“なんとかできない”。無力だなぁとつくづく感じてしまう。

焦れば焦るほど私には何もできず、それが逆にヒステリーになってしまう。こんな無力な私でも、プーさんや子どもたちは求めてくれるのだろうか。そして、感謝の気持ちで一杯になる。これからは、困難なことが起きてもプーさんたちと一緒に“なんとかなるさぁ”と笑顔でいられたらと…、そうでいられるように、今できることをひとつずつ、一歩ずつ、進んで行きたいと思う。



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