歴史


昭和48年 4月 新潟市自閉症親の会を結成。毎月勉強会を開く。
昭和49年 4月 全入保育・全員就学運動を開始。
10月 「自閉症児」を理解していただくために文集「ひとつずつの太陽」1号を発行。
昭和51年 4月 万代・有明台小学校に情緒学級が設置され自閉症児にも義務教育が保障される。
11月 文集「ひとつずつの太陽」2号を発行。
昭和54年 4月 将来のこと「親亡き後家庭に代わる所」が最大の課題となる。
7月 新潟市に義務教育終了後の自閉症児の通所施設の設置を要請。
9月 「太陽の家建設準備会」を設立し、開設活動を開始。
11月 太陽の家建設資金のための第一回バザーを開催。以後毎年2回バザーを開催。
昭和57年 3月 文集「ひとつずつの太陽」3号発行。
4月 社会福祉法人更正慈仁会から太陽の家のために場所を無償提供していただくことが決まる。建設資金1千万円。
昭和58年 4月 提供していただいた家を700万円で増改築し、太陽の家開所基金を「太陽の家運営基金」に改めバザーは継続。
昭和60年 4月 太陽の家が定員を上回る。家庭環境の悪化などから、最初の目標だった「親亡き後家庭に代わる所」を「第二太陽の家」と名付けて建設運動に力を入れる。
7月 第二太陽の家建設に協力を新潟市に陳情。回答なし。
10月 第二太陽の家建設に協力を新潟市に陳情。回答なし。
平成元年 10月 第二太陽の家建設に協力を新潟市に陳情。協力得られず。
11月 第二太陽の家建設に協力を新潟県に陳情。新潟市の協力を得てからでないと動けないという回答。
平成2年 2月 第二太陽の家(仮称)を「太陽の村」に改めて、新潟市に4回目の開設協力の陳情。
平成3年 12月 長谷川新潟市長から全面協力の約束をいただく。
平成4年 12月 平成5年度予算に太陽の村建設費が計上される。
平成5年 7月 社会福祉法人「新潟太陽福祉会」認可。
9月 太陽の村起工式。
1999年 7月 ほっぷ・すてっぷクラブ(幼児・学齢期部会)誕生。
2002年 6月 すきっぷクラブ(アスペ部会)誕生。