第4回 虚弱体質さん


「小さな恋のものがたり」

〜 天使は地上に舞い降りた 〜

私の名前は「虚弱体質」
何故かと言うと?身も心も打たれ弱い…と自負しているから(笑)。
自分で言うのもなんですが、私は”いい人”ではありませんので、
深い愛情をたくさんの人に与えることなどできません。
少々?”毒の強い女”なのかもしれません。
ここ数年はどうやら自分の毒にあたっているようです(えっ?)。
自分では世間の風を上手にかわし、謙虚に賢く生きているつもりなのに…。
どういう訳か?世間の風は、私をめがけて吹いてくる。
何かが?”お・か・し・い”。私は打たれ弱いのにぃぃぃ〜。
さてさて、みなさま。
こ〜んな毒ついた母の元に、自閉くんが舞い降りたのですから、
「さぁ、たいへんです」おや?物語は始まったようですね。

昔、昔…(と言っても4年半前の夏)ある所に、
おばあちゃんとお父さん・お母さんに娘がひとり住んでいました。
そこへ予定日を4日過ぎること、ようやく地上に自閉くんがやってきました。
この自閉くん。産まれた時は(も?)実に母親想いだったようで、
荷物持ちと送迎そして立会い担当の父がいる土曜日のしかも夕食が済んだあとに、
いきなり10分間隔の陣痛を始めてくれるという快挙に出てくれました。
”3,810g”もある大玉の赤ちゃんだったのに、
2時間半というスピード出産だったのですから…
みなさんも泣いて下さい。母は後産でも泣きました(笑)。
娘に続き2度目の立会い出産となった父は、余裕しゃくしゃくで
母にポカリを飲ませ、腰をさすり、複式呼吸といきみまで一緒にしてくれました。
(どうやらあの頃は、まだ愛が残っていたのかもしれません)
そして産まれてきた赤ちゃんは愛くるしい男前で、たちまち家族の人気者となりました。
よく「こんなに可愛い赤ちゃんは見たことがない」と褒めちぎられたものです(爆)。
やがて訪れるその時も知らずに…。鼻高々の”お・ろ・か・な”母。

月日は流れ、歩き始めた頃の男前は、
「ママは?」私を指差してにっこり笑う。(きゃ、素敵)
飛行機を見つけて「ぶんぶん」と喜び遠くを指差しする。(きゃ、お利口)
公園で三つ上の姉を追いかけ、すべり台を登りブランコを楽しむ。(きゃ、仲良し)
「パパにバイバイしてね〜」玄関まで行き元気に手を振る。(きゃ、愛くるしい)
そりゃゃゃ〜。一向に増えていかない言葉と見立て遊び。少しは気になりましたけど。
「そんなものは個人差だって思いますよね!!」
それにあの頃は「ちょうだい」も通じていましたもの。模倣だってありましたもの。
自閉くんだなんて…夢にも想いませんでしたわ。

そして…だんだんと言葉掛けに反応しなくなる男前…。
出来ていたことが出来なくなるなんて。
母が働き始めて「寂しいのかな?」くらいにしか考えていませんでした。
運命の日は訪れました。男前2歳1ヶ月、療育相談のことです。
医師は、開口一番に「自閉だね」「折れ線タイプの孤立型…」
「そんなことはないと思うけど脳の病気かどうか検査をして、それからだね」と。
???…なんのこと…???…なにがどうして?どうなったの…???
その日パソに「自閉症」と入れた瞬間、すべては崩れ落ちました。
たくさんのサイト。「一生治らない」の言葉。「障害だなんて」。
遠のく意識と落ちていく母。山あり谷あり…谷あり…谷あり…。
どれほど、さまよい続けたことでしょう。
とうとう打たれ弱い母は「消えてなくなりたい」と願うようになりました。
もう…人生なんてなんにも楽しくない…。そんなことばかり考えていたある日、
男前が、いきなり「ママ」「ママ」と声を張り上げて泣きました。
でも、たったの2日間だけ…だったけど(笑)。
その後も母がドロ沼期を迎えるたび、男前はその愛くるしい笑顔を武器に、
母にちょっとだけ愛と喜びを分け与えるようになりました。
母はもっともっとたくさんの愛がほしいばっかりに、男前の罠にかかり…、
毎日適度な?距離を保ちながら「おつきあい」を重ねています。
勿論この距離を「もっともっと縮めてみせるぞぉ」と誓う母でございます。
「強引(ゴーイン)グ・マイウエイ?」この物語は、まだまだ続きます。
男前と物語の続きがご覧になりたい方は、
いつでも「新潟市自閉症親の会」までお越し下さい。お待ちしています。
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”新潟市自閉症親の会”は、熱い(厚い?)ハートの鋼の母たちばかり。
貴重な生の?自閉話しがザックザック!!どこを掘ってもお宝の山間違いなし?
「ここ掘れワンワン o(^o^)o
あなたも一山も二山も当てて下さいませ。
今日もスコップ片手に母の奮闘は続いておりまするぅ〜(笑)。