第17回 REXさん


「Kの障害・私の障害」

はじめましてREX(レックス)です。
ハンドルの由来は、大方の人と同じく、子どもの好きなものから取りました。
そう、うちの子は恐竜・怪獣大好きっ子なのです。
恐竜・怪獣のことは、「あの人」「この人」と”人”扱いですが、
実の兄たちや友達のことは、「あれ」「これ」と”モノ”扱いです。
最近ようやく「大きいお兄ちゃん」「小っちゃい兄ちゃん」になりましたが、
名前はよ〜く考えてからでないと、出てきません。

さて恐竜といえば、やはり王者ティラノザウルスでしょう。
そのティラノ君の愛称(?)がT・REXなのです。
ところが最近の研究では、このREX、
左右に曲がることが出来ずに真っ直ぐにしか走れなかったとか、
(それだけの頭脳がない?)
狩りはしないで死肉をあさっていたとか、
恐竜の王者としてのイメージダウンはなはだしく、ガッカリです。

息子Kは、去年の6月にはまぐみ小児療育センターで
「広汎性発達障害」と診断されました。
ですから単純に考えると、
私の「自閉症児の親」歴は1年1ヶ月ほどなのですが、
診断されてからもしばらく「何が何だか…」
という自失状態が続きまして、
自覚が出てきたのが、この親の会に入会した
昨年の11月頃、と言えると思います。
そんな未熟者の私がエッセイに何を書くのか?
これはもう目の前にいる自分の子供について書くしかない訳で…。

ではボチボチまいります。

平成8年某月某日、我が家の三男としてKは誕生しました。
玉のようにかわいい赤ちゃんでした(と親は思った)。
それもREXのベビーにふさわしく、出生児の体重が
なんと4070g!
(ちなみに兄ちゃん二人は、それぞれ4275gと4000g)
白い肌、バラ色の頬、チャコールグレーの瞳…の彼を見ていると
”天使”ってこんなんかも…とマジで思いましたね。

でもこの天使君、やはり
タダ者ではありませんでした。

歩き始めるとスタスタどこまでも行ってしまう。
迷子になりそうになっても平気。全く人見知りしない。
男の人、特におじいさんが大好きで、
知らないおじいさんでもニッコリ笑ってダッコをせがむ。
耳さわりも大好きで、当時の私の耳は生キズが絶えませんでした。
でも可愛らしさに目のくらんでいた母は、
ちっとも変だとは思わなかったのです。

しかし、そんな平和な我が家にも暗黒時代がやってきました。

最初は3歳で入れた保育園の先生の言葉。

K君はちょっと変みたいです。
給食は全く食べないし、しゃべり方も変わっていて、
言っていることがよくわかりません。
集団行動もとれないです。

それでも呑気な私は、そのうち直るって思っていました。
でも入園時には他の子と変わらないようにみえたKも、4歳5歳となるにつれ、
他の子がぐんぐん成長していくのに、いつまでも幼いまま。
絵を描かない。
音楽の時間は耳を押さえて逃げていく。
ブランコがこげない。トイレに行けない。
発表会・運動会には参加しない…。

結局、5歳の時に児童相談所(様子を見ましょう)を経て、
はまぐみで上記の診断を受けました。

もちろんショックでした。
「自閉症」という言葉は知っていたし、自分では偏見は持っていないつもりでした。
でも、その言葉とKがどうしても結びつかなくて、しばらくボーッとしていました。
しかし一方で、どこか「ホッ」とした気分、とでも言うのでしょうか?
妙に納得したような、ふんぎりがついたような気持ちになったのも事実です。

それと「障害」という言葉をそれほど深刻に受けとめなかったのは、
私自身が障害者だということもあったと思います。
よく「障害は不便ではあっても、不幸ではない」と言いますが、
それを実感として知っているという強みがあったんですね。

私の障害は感音性難聴といって4級の身障手帳を持っています。
難聴と自閉症って結構似ているところがあるんですよ。
ざっとあげてみますと、
(1)ちょっと見ただけではわからないこと。
(2)視覚優位であること。
(3)的確な支援があれば、普通の生活を送る事が可能なこと。
などです。

ですからボーとしながらも、心のすみで
「こういうものには、きっと何か支援団体のようなものがあるはずだ!」
とアンテナを張っていたのです。
そして、そのアンテナにピピッと来たのが新潟市自閉症親の会
以来、親の会でいろんな人に会い、話を聞いて、
勉強会に参加して、本を読んで、
「自閉症」の世界にすっかり魅了されてしまいました。

私の考えは不謹慎かもしれませんが、
「自閉症」の世界は、本当に不思議で、知的な刺激に満ちていて、
自分の中の常識や思い込みが
ボロボロと剥がされていくのにはオドロキです。

それだけではありません。
Kの障害は私の障害の世界をも広げてくれました。

それまで、面倒くさがり屋で、かなりアバウトな性格の私は、
難聴で不便なことがあっても、
「まあいいや、我慢すれば」
と思って、すましている事が多かったのです。
ところが、Kの障害を知りたい一心で、難聴者協会に入会。
要約筆記を受け、ノートテイクをお願いし、
赤外線補聴装置も初体験!
同じ難聴の友人や、ボランティアさんとも知り合いになるなど、
どんどん変わってきています。
おまけに大の機械オンチが一大決心で、パソコンで会員限定の
メーリングリストなるものに参加!
あろうことか親の会のIT班(※)にまで入って
皆さんの足を引っぱっています。

もちろん心配がないわけではない。
Kの将来を、自分の年齢と考えあわせて、
眠れない夜もあります。

そんな時は……
隣で安らかな寝息をたてている連れ合いを
たたき起こして、八つ当たりする……
ことにしています。
なんたってストレスをためるのはお肌に良くないですからね〜。
(俺のストレスはどうなるんだ−!? ← 声なき声)

今春、地元の小学校の特殊学級に入学したKは、
幸い周りの理解に恵まれて、
今まさに開花期!! ぐんぐん成長しています。
今まで出来なかった事もたくさん出来るようになって来ています。

これからもいろいろ勉強して
豊かな障害の世界を親子で楽しみつつ
成長して行きたいです。


IT班 Webサイトの情報管理や会員内メーリングリストの運用。
会員限定の会報誌「ほっぷ・すてっぷ新聞」の取材・編集・発行などを行っています。