第59回 商事屋さん


「私の夢」

「お帰りぃ〜」
夕食の支度を終え、フリフリエプロンの私は、
笑顔で子どもたちと帰宅した夫を迎える…
そして、レースと花柄に囲まれたピンクの部屋で一家団欒…

『キャンディキャンディ』を見過ぎた私は(年齢バレバレ)
幼稚園児の頃「将来の夢は?」と聞かれ「おかーさん!」と答えた。
しかも上にも書いたとおり、花柄とフリフリの世界の“ママ”だ!
そう、その頃から私の夢は変わらなかった…。
普通の“専業主婦”になりたかったのだ!
それが、どう間違えたのか?
現在の…現実の私の姿はフリフリエプロンどころか、
おばあちゃんに子どもを預けて働き、ボサボサ頭を振り乱し、
牛丼屋のカウンターでどんぶり飯を一人で食べる事だって平気な
『働くおか〜ちゃん?オバサン?』

皆さん、はじめまして。こんな私のハンドルは商事屋です。
小学校1年の長男が、彼の頭の中で店主を務めている繁盛しそうにない店、
この店の名前をいただくことにしました。

店主を産んで、ともあれ夢にまでみた“お母さん”になった私。
母親になった日、私は野性に目覚めた。
「赤ちゃん抱かせて!」と私の腕から赤ちゃんを抱き上げる親戚に向かい、
動物のように牙をむきたい気持ちを抑えるのに必死…。
「この子は私が守るのよ」なぁ〜んさっ。

気合いは十分!母親学級で学んだ通りに
泣いた赤ちゃんを抱っこしてあげる。
と…………、
抱けば抱くほど、泣く。
泣く・泣く・喚(わめ)く。
あやせばあやすほど、不機嫌になる。
私も一緒に泣く!!
赤ちゃん交流会で“触れ合い遊び”を習っている時も、
周りの母子の盛り上がりと違うポイントで盛り上がる私たち…。
(あぁ〜私ってダメな母親ね…)
(私が働いていて、一緒の時間が少ないから悪いんだ…)
フリフリの夢も、野性への目覚めも、
頭の中で音を立てて崩れていくようだった。

「大丈夫だよ」という周りの声に支えられながらも一人迷い続け、
思い切って保育園へ相談し、担任の保育士さんと共に療育相談へ…。

ここからが店主と私との本当の出会い!
療育相談で、『自閉症』という言葉と出合った私。
先生が何をおっしゃっているのか?
理解することも出来ず、呆然としていると
「お母さん…頑張ろうねっ!」
保育士さんは、そっと私の肩をたたいて励ましてくれた。
療育で自閉症が治ると思っていた私は
「早いうちに診断受けられてよかったです。」
なんて笑って答えてみせた。

家に帰って自閉症について調べた。
すると、それまでの“私の夢”は消えて、
昨日まで愛しく思えていた彼の個性が全て障害に見えた。
彼をよそから預かっている他人の子どものように思えた日々もあった。

保育園への送り迎えすらおばあちゃんにお願いしていた私は、
お母さん友だちの輪に入ることも出来なかった。
ますます周りの視線が恐くなった。
保育参観ではいつも、楽しそうに遊ぶ親子を遠目に見ながら、
普段と状況が変わったために泣き叫ぶ店主を背負い、
(このまま消えてしまいたい)って、園内を歩きつづけた。

(何でウチの子だけ????)

なぁ〜んて思っちゃったりもしたけれど、
あれから3年半…店主は小学一年生。
今では、(ウチの子は特別だから…)と思い
遠目で眺めるだけだった(いわゆる)普通のお母様たちとも、
大酒を酌み交わし、笑いあえる友だちになることができた。
そして運動会で目立ちまくっている店主に向かい、
みんなと一緒に肩を並べて大声で応援している私がいる。

今も落ち込む日は多いけれど
出来ることなら、3年半前の私に会いたい。
そして「大丈夫。店主は店主なりの成長をするんだよ。」って
教えてあげたい。

夢に描いていたようなフリフリエプロンのママじゃないけれど、
“女”として、“妻”として、“嫁”として、
“社会人”として、“母”として!…、
しかも“自閉症の店主の母”として!!!
同時にたくさんの顔を持つことができたんだもの、

そう、今、私の夢は叶っているんだ!

ここにきて、私の野性の精神は更に開花し、加えて、
「あぁ、あんな風にはゼッタイ私はならない」と思っていたはずの
オバサマの騒々しさ、図々しさが顔を覗かせている…。
(姿は既に…。)

欲はどんどん湧いてくる。
次の夢は、心豊かな“オッサン”になること。
ん?

さぁ!! 頑張るぞ!

「うひょっ!」(←店主風の喜び声)